賢くなりたい 強くなりたい。

 

夏の体調不良から 立ち直るのに

かなりしんどさを覚えながら。

 

以前のコツコツ取り組む姿勢を

取り戻してきた近頃

集中力 注意力はうまくまだ使いこなせない日々

前進しているのやら 停滞しているのやら。

 

けども着々と人生の波はやってきて

着々と人生のイベントは訪れては、去っていく。

 

環境も 存在も 容姿も

変わって 「諸行無常の響きあり」

その言葉が身に沁みて理解できる。

 

 

 

祖母が亡くなった

親しい関係性では、決してなかったけれど。

やはり胸が苦しい

自宅で倒れたときと同じく、眠れない。

祖母に対してと言うよりも、

変わりゆく関係性・立場に対する

不安や恐怖の方が強いように感じる事に

嫌気もするけど、事実私はそれが苦手なのだ。

 

この眠れない 脳みその興奮は

大きな変化に対する拒絶で

カナシミとは 違うものであります、

 

 

 

ただここ最近のわたしの

小さな努力の甲斐あって、同時に

胸が高鳴るような思いも 実感できるようになっていて。

嫌気をもほかの執着さえ、消し飛ばしそうな勢いで

湧き上がって 困る、

 

行動が伴わないので

苦いのだ

うまくそれ使いこなせない。

自分にできる事が分からない

 

 

 

9月 諦め…

 

 おみくじには、

 勝 勝つひとは諦めない。

 勝ち癖をつけるには、諦めない事。

 

 そう書いてあったけれど

 私にできる事は少なくて、

 私の気持ちは他人への迷惑になると。

 立場が違う、能力が違うと

  これらは、諦めているのでしょうか。

 

 

 自分を受け入れて 前に進むために

 私に相応しいものを 選択しようとするのは。

 諦めているのかもしれないけど

 私には、今の私には。

 必要なものは 何となくわかる

 一番に求めるべきは よく分かっている

 それ以外を 手放すことは。

 諦めでしょうか。

 

 でも今の私に必要なもの それだけは

 それだけと向き合わないといけない と

 思っているから、

 

 

 想い はここに居てはいけない。

 

 

眠たい8月

眠たい理由には、いくつかある、

 ・気候や環境の変化についていけず、身体の生命活動が低下

 ・明確な目標がないため、やる気の低下

 ・依存先がなくなる不安

 

   真ん中以外の2つは、生きるため 

   目標がわからない これが一番ネックなのだ。

   これが眠たさを加速

  この間見た三島由紀夫のように 人は何かの為に

  ただ漂い生きる事、生きるためだけでは。

  生きていけないのかな

   特に私はその部類

   それは生きる上で弱さ であるように思う。

   それがなくては生きられない

   それがみつからない わからない

   その沼から抜け出せなくなった時、

   極端な思考が生まれ それに縋りたくなる。

   楽になりたい 

   考えることをやめたとき、人は

   考える のは頭だけれど

   こころがその端くれに触れる。

   こころがある限り 疑問は生じる

   脳がすべての行動をつくりだしてはいるとは思う。

 

  私の実行機能障害がそれを物語っているし。

  でも心にも 行動に繋がる端くれがあるから

  縋りついたい 楽になりたい と

  永遠と戦い続けなければいけないのですね。

 

  それが苦しくなくなる 時。

  きっと楽になれる。

  やめる時は命がなくなるとき

  こころとこの不具合の多い脳ミソとの

  

 

私を必要としてくれる場所に

必要と求めてくれる人を

 私も求めようかな

 

 必要ないと扱われるのは

 必要のない親切さが 一番要らないように

 

変化への一歩、失敗

 

 薬での変化を求めた私が

 間違いなのか。 

 とりあえず、インチュニブは血圧が下がるので

 飲めない。

 

  やはり自分で 遅くとも

  時間が永遠にかかろうとも

  自力で じぶんのバカさ加減 あほさ

  と向き合いながら日々 できないながらに

  生きるのが一番近道なのか。 

  でもここまで 29年でやっとスタートして、

  人間としての土台ができたけれども。

  これ以上の変化には、私の力では変えられない。

  何時まで経っても。 能力的な成長は得られない。

  

  アトモキセチンをまた少し飲んで

  試して それでだめならあほのまま 永遠に

  唯一の近道を選択します。

 

  自律神経が狂って 体調が悪いのは

  昔の地獄を彷彿させられるようで すこし苦い。

 

また服薬始めるまでに

 呼吸法、身体を緩める習慣だけは

 つけなければ、またすぐに具合が悪くなる。

 努力であります、、

 

 

 

 

夏はあつく、だが頭の中で涼やかな

意思が芽生える。 諦めのような 流されていく

その流れを身をもって感じる 不安なはずなのに

心地がいい 

流れは常に一定であり ただひたすらに

一定であることに 安堵するのです。

 

 

 

全てがゆるむ

2か月が経過した のか。

 

 今年も残り半年、

 私はいまだ大きくは変われないものの。

 6月から気持ちのゆとりが持てるようになり

 しんどさから解放される方法が 掴めた

 

  もういちいち何かを書き留めなくても。

  もっと必要な経験が得られる 時間を

  求めて動いていたい気持ちが 増えだした、

 これ 今までにない ずっとあこがれていた

 私にない感覚が芽生えてきました!

 

  大きな嬉しさが どこにあるのか 穏やかさは

  自分の追い込みとともにあるもので

  探し求めるのは、何処なら踏ん張れるのか

  限られた注意力をどこへ向ければ

  楽になれる 場所はどこか

   それが常々の課題であり

   努力と呼ばれるものです、私の場合

 

それが難しいのだから、困っているのだけれど

向かう場所が分かりつつあるのだから 大丈夫

まだこの先生きていけます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 余裕をつくること 意識して生活していたら

 時間の感覚がゆっくりになって

 一日がながく 空間がとても柔らかく変化した

 もっと変化できる 

 そのための能力がほしい

 能力がほしい