少し長めの 幸せの余韻

 

 数日前に よい出来事があった、

 

 残念ながら就労が決定したわけではないが。

 連絡があった 私の唯一の親しい人から

 

  話し方が 昔の彼の良さを醸し出しながら

  会話を続けてくれたことに 

  とてつもなく幸せを感じて、

  うれしかった。  

   これ人生最大といってもいいでしょう。

 

 よい変化が 彼に起こったようだ、

  その要因は諦め や

 救いを求めてからかもしれないけれど、

 私としては 穏やかさを取り戻し、

 豊かさにつながるであろう

 雰囲気は好きで。 

 悪いものではないと思う、

   いい出会いがあったのやもしれないし。

 

 

 

   その嬉しさの余韻が 

   私の集中力の妨げになり

   幸せは時に 

  悪影響をもたらすもの になるらしい、

    でも 幸せである。

 

   あとは 注意散漫さ を

  どうコントロールするか

   私の技量によって世界が変わるので。

    厳しい、、、

 

 

 

 

 

 最近は 物 にも

 少し欲を見出しても良いかと

  気を緩めがちで、

 

  特定の場所 や空間の位置に

  お気に入りを作って

  じぶんへのプレゼントにしている。

 

  昔は よく、 

 そればかりに執着していたりで

  そんな欲から 離れたくて

  手放していたけれど。

 特に 自然とそんな欲から

 逃れられるようになった今

 また 作って私の愉しみに

 貢献してくれるよう、頼みたい所。

 

 

 そこは 自分の魂とでもいうのか 一部を

 置いてきて  いつでも私 に

 反応してくれる物や場所、

  とても愛おしい存在であります、

f:id:keepescape1225:20201211201349j:plain

 

 

  いつかは そんな物も なくなって 

  愉しさも 孤独も 

 さみしさも くるしさも

  愛おしさになって 一つの人 

  と歩んでいくのも 悪くない願い、

 

 

  そんな 自分を

 一時的に切り離した 存在って

   とある物語の分霊箱みたいね、

 

 

   贅沢しすぎないよう 戒めなければ。

あげてはいけない ご褒美

 最近は 集中コントロールして

 就労移行通って 働き口探して 

 日々自立目指して動いて

 集中しまくって えらい、

 

 

  と ぜんぜん偉くも 頑張ってもなく

  贅沢に生きている わたしに。

  12月というさびしさにご褒美、

 

 

  ぶらり する時間を作ってみたり。

  

   目的あるようで なく、 

   この季節ならではの冷たい空気が

    作り出す街灯が クリスマス気分を

     十分に与えてくれます、

    リンリン きもちがなります、

 

   いつもは手にしないような もの 見て

   自分の心に手繰り寄せて 頂く。

   思い入れ深くしばらくは見惚れていたい。

    ほしい物は手に入らないけど

     私のほしいものは これとする、

     あー お店にしてやられてますな

     

 

    クリスマスぐらい

  自分に祝わせてくださいな、

f:id:keepescape1225:20201130223246j:plain

 

   ぜんぜん早い よい夜を。

     

人が 失っているもの 2

 

 続けて 鷲田清一のエッセイから

 

 

 

   文明 技術の発達 

   作業の効率化によって

 

    人の顔 が失われているという。

   いわゆる、その人が作り出す雰囲気 

   性格が滲みだすモノ

    誰か を想う心が宿る場所。

  

  はたまた 記憶を作り出すプロセス、 

  記憶を引き出すなつかしさ のモノ

    身体の記憶。

 

 

 

     どちらも 人である 

    生き物である私たちの

     生きる上での大切な

     条件の源のような もの。

 

 

  記憶に関して

 

  脳が記憶という古い作業から

  解放されることで

   人間は飛躍的に 創造の仕事を

   作り出せる のかもしれないが。

   一方で 記憶は脳だけでなく 

  身体の記憶、(プロセスを含む記憶)

    が重要と他著書でも目にしたことが

 あり。物、事柄そのものの記憶 だけでは

 

    リアルに なつかしさを 

    思い出す事から 

   遠ざかった記憶になるであろうと

    

 

   日々生きていながら

 

   誰かを 想う顔 が

  珍しいものというのも

   虚しい、

 

 

 

 

   その虚しさ 埋めるためか

   昔の人が 制作した日常着を見たり 

   生きた文化を知ろうとする

   今になって、

   そこに滲みだす 

  時と人の間に生まれたモノ見たさに

 

   どんなに真似て 今に作り出そうと

    カクカク に型取られた制作物に 

    良さはない。

    伝える大切さはあれど、

     良さは そこには作り出せない 

    モノであると 再認識、

 

 

 

 

 

    再認識しようと 

    意識的に行動せねば

    思い出せなくなって 

  いるという事も ここでもまた  

     再確認、

 

 

 

 

 

    個人的な話

 

   自分の能力 

   学習のペースの遅さから

 このままでは やはり間に合わないので。

 

   時間を 時間を延ばす 

  いや短縮?でないと 難しい事

    が多く私にはあるので。

    何とか方法をとか 無茶な 

 脳のない考えを自分に突き付けたりして、

 

 

    でも この話からすると

     時間を超越して 

    得られたもの 能力に

     意味が果たしてあるのか。 

   ただもっと他に効率的現実的な

   方法があるだけなのか

 

   きっと そうなのでしょうけども、 

     何に いみを持たせるか で 

     超越したモノもまた  よし

 

それ出来るのであればよし になるのです、

 

      この世の中は 

 

    

   

 

  

人が 失っているもの

 

 歯がしみて気になる のどが渇く。

 

 この周期的に来る体のサインと

 これからも

 仲良くしていかなければならない、

 歯は歯医者行くべきか。

 

 集中も この周期になると 

 いつもに増して 散漫。

   準備が出来ても 散漫。

   歯がゆくイライラする  し易い…

 

 

   

  この一週間 現実世界の日常を

  しっかりと生きて

  計画的に 時間を管理してきたから。

  責任果たした感、

 

  でも 文字読む時間  

     無になる時間

     考える時間  への移行が

    難しくて進まない。

   手につかない、すぐには

 

  この 感覚空間の移行は訓練して 

  すぐ気を集中させる術を

  身に付けるほかない。 つらし

 

  歯のしみ も何とかしたいもの。

 

 

 

 

 

 

  鷲田清一 のエッセイを読んでいても、

  橋本治 の話と共通するなと 

  思う点がある、

 

 

   今の 日本人には 

  自分を批評する目を失い

  自分の行動をチェックする機構が

  働かず、

    「たいがいさ」が見つけられない。

     自分が 変であるかもしれない 

     と疑いをもたない、

      

   それは、 周囲を 排除し

   内に籠り、

   違いのあるモノ受け付けない

   知ろうと思いを馳せる事を

  拒否する、 攻撃性への反転に繋がる。

   深い根っこである事 

   イコールであります。

 

     自己を 見返す、

     外から俯瞰する目を 

 

     私たち 人間は人間社会だけで

       成り立っていないように


      もっと 周囲の違い 

      支え合い 相互理解せずとも

      しようとする事で 

   個人の内側に戻って来るであろうか、

   その目。

 

      個人の自立 は必須事項で

      私には足りない事だが。



 

     進化していく文明に 

    もう人はついていけなく

     なっているみたいで。

     快適さが増しに増して 

   うちに籠るへんさ と攻撃性の

   居場所はない。

   じぶんを俯瞰する事が出来ない 

       よく言われる 

   人間の暴走なのかな、これが。

 

 

     人のアップデート 

  が必要というなれば、 その 目が

  私たちに戻って 

  身に付けられるといいのかな。

 

       とか 下らない事考える、

 

 

 

 

 

     あ   歯のしみ 消えた、

     

       

        

 

 

 

 

   

夢に助けられる

 

  最近見る、はっきりとした印象を

   残すゆめ に

  少し自分なりの解釈をくっつけたり、

   何か受け取ってみる事してみて。

   助けられる

 

 

   とくに深く調べたり 

  お告げみたくは捉えずに、

    何となく と意味あるそれと 

    夢そのままに

    受け取ってみる。

 

 

  今の自分に繋げてみたり して 

  行動の 思考の一部に

  組み込んでみる。

 

   元気が出る、

 

  まあ これ 現実世界での

  人との関わり刺激

  批評の存在が 

 乏しくなってしまう事が

  起因しているのであろうから、 

  少し虚しくもあるのだが。

   いや、 だいぶ。

 

  でも 少し これによって

  救われるので 良しとしよう、

 

   そして昨日みた夢は

   かなり 今までになく

  書き出したくなるような

    実際に書き出して

  追い込まれるものあって。

    ふしぎ、

   それ 物凄く自分を救う内容で 

   モノ見る目を

    確実に整えてくれるような、

    穏やかになれる。

 

  私というものを 形作ってくれる

   道具になりそうです。