変化という残酷さが生み出す 好奇心、

 

 どんなに すきでも

 居心地がよくとも 悪くとも

 恨んでも 嫌いでも

 

 変化は生じて 同じものは二度とない

 

 

 

 探せば探すほど 無い ことの

 空しさで一杯になるし。

  同じものを辿れど 辿ろうとする程に

  無いこと 強く自覚する。

 

  痛い

 

 

  

変化を 楽しめない ことからもう

 終っているのかもしれないが。

 私には やはり 残酷さが 

 主軸のように感じてならない

 

 同じものがないからか、

 消える事のない 感覚が染みついて

 私の一部だからか、

  

  その残酷さは 忘れる必要などないと

   いや 忘れる事なぞできないけど

   私の一部に取り込める

   すてきな 能力なのだから。

 

 

  私とは 違う人はたくさんいて

  あのひとも あの人も 

 ふり返らない 同じ感覚はなかっただけ。

   違いはお互いが補えばいい

 

  だから  私は この世で 

  無い とこ 違うとこ 補い合えるよう

  能力を高めるだけ。

 

  頼るでなく 補い合うためには。

  能力が高くないといけない、

  マイノリティーならなおさら、

  主張できるほど強くならなければ。

 

 

 

 

 

   残酷さから 生まれてくる    

   いいモノだって

   知らないわけじゃあないよ、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   関連事項での 学びの感覚さがしを

    また一つ 

 

 

 

 

   メルカリでの商品が売れたとき。

 

   人との会話 話す姿勢と

  似ているものがあった。

   自分が売りたい いらないものを 

   売っても欲しがる人は居ない、

   当たり前なことだけど。

 

   私は メルカリ販売に限らず、

   人と接すること全てにおいて 

   一方通行  

 

  なのは  分かっていたことだけども。

  売りたいでも 誰かが欲しがる価値も

  感じる

  求められることと 

  話したい事の重なりが重要である事。

 

 

  実感は  やはり

  行動で 何かなして得られるもの

 

  感覚探し は探さなきゃ 

 見つけようとしなきゃ 成して初めて

  分かるもの。

 

  同じモノ探しでなく 

 私の行動の矛先は ここなのだ、

 

  実感

  体感 傍観していては 分かることなど

  一生ない。

 

 

 

   と  自分に言い聞かせる。