東直子の短歌集

 

 愛の歌の解説付き

 

 すごくよかった。

 短歌なんてべつに今まで目にしてきた事 

 自ら手に取る事など、

 なかったんですけれど。

 

 何がいいかって 前にも述べたように

 読み終わったときの 集中力UP。

 

  今現在にものすごく集中できる

   体勢がつくられるんですね。

  読むでも、 短歌は誰かの 

 その時ある一瞬の思いが込められていて

   私は共感力がかなりない方ですし、 

   尚更、

  ある情景にて 誰かが思うたことなど 

  理解がしがたかったり。

  え それどんな気持ち? 

  どんなモノ? と 

  書かれている表現から

  知ろうと 努めようとすることで

   作者方誰かの その時に少し触れる 

   その作業が

 

  どうも 忙しく動き回る

 私の思考脳内回路を 引き留めて。

  平常運転に切り替えられる

  もしかしたら 時間さえも少し

 一瞬の変化があるやもしれませんね。

  わからない その時を

  知ろうと 思いを馳せるのは。

  そんな効果があったりも。

  短歌には そのある一瞬ひと時の

  思いが詠まれているので、

  確実に そこに着地出来るから 

  効果絶大なのかもしれません。

 

 

 

 

 

   それから

 

  知る に関連して 

 さっき思った事なのですが。

 

 

  無知すぎて世界が狭い私も

  知れば知ろうとする程 

 自分が最下層、 狭く息苦しい所に

  居るのだなと 実感し。

 

 知らない    とは。いや 知る事で

 

 次元さえも 変わるのではと思うほどに

 見える世界 思う感じることが

  変わっていくのだと

 無知は こわいというか、 

 無知である事こだわる事ほど

  愚かな苦しみを

 選択するようなものだと 。

 

  それでも 特性上、

  執着・変化への嫌悪は人一倍強い

  のが私で

   

 

 

 

 

 

 

 

 意識

 

 知ると 手に取った  行動したことを

 途中で 又は行う前に 

 止めることができるのですよね。

 当たり前 といえば 

 当たり前なんですが。

 

 知ったことが正しいか は 

 はっきりとは分からない事が多いが。

 

 ああ  これはこういう選択肢。

  意味合い 作用影響

  があるなと  意識の変更ができる。

  考え 疑い 答えを

  出そうと してみる。

 

 

  正か否か  考えようとする。

  

  知ったことを信じ込むこともあるけれど

  新たに知ったことと天秤にかける 

   正か否か。

 

  信じ込んだ方が正しく、

 間違えるかもしれないけれど。

  

 そういった 当たり前のことが 

 今 スローモーションで

 体感しやすくなってきました。

 

 あ  いま 違う選択肢が浮かび。

  判断を意識が求めている。

 



  でもほんとうに

  なにが正解なのかは 

 私の知識不足で 分からない、

 

 

 

  色んなことを私なりに知ろうとしても

  強いメッセージで 

  不正解を発信してきているモノ

  かもしれない。

   ナニナニせよ、  みたく

 

   強制的に 選ばされている気も

   してならない。

   知る事が  面倒に。

   思いを馳せることが 無駄に

   恐怖に ならない為にも

 

    基礎練習として 

   短歌はわたしはすきよ

    今現在にも 深く入り込める。