突然のおもい

 

発達を意識し始めてから、

もう一年経ち

 

就労支援も 来月で10か月になる。

 

 

 なかんかシビアな現実と 向き合うのが

 つらくはあるものの、

 

 最近新たに 自分の中での

 ステップが進んだ気もします。

 確実に、 そんなこんなをしていると 

 なんだか発達なるものが

 

 なんなのかよく分からなくなってきて。

  発達って 障害て  そんな差別、

  人種区別するほどのものであるのか

  自分の今いる 選ぼうとしている場所に

  疑問さえ感じてきたり。

 

   まあ、それは 社会に接していない 

   ゆえに生活するに不便を感じない

    から  。 私の発達の具合が 

 極めて軽度で 鬱や自己肯定感の皆無さが

    悪影響を及ぼしていた  

    からなのかもしれないが、

 

 

     でも相変わらず、 

 発達凸凹の激しさは身に染みて

 生活しております。

 

 

 

 

 

    自身の 不具合の原因 

    社会的無能さを自覚するのは

     社会を受け入れる、

  時たま過大評価しがちな傲慢さ

     を律するのに重要であるから。

     叩き込むけれど

 

     周りの社会の目は 

     すぐに不振の目で 

   一般の物差しをふるってくる、

     排除を得意とする 

    叩きの自覚を しない

 

 

      まして 内輪揉めで 

      忙しいらしく

     忙しいのなら 忙しいで 

     目に入れないでくれれば 

     まだ嬉しいのだが、

     排除の力はより増して 痛い。

 

 

 

そんな場所でどう生きろというのだろう、 

 とこれ無理難題である。

 

 

 

 

 

 

 

 

   私の 物事の理解は 

   思っていたより以上に 

   ものすごく  ゆっくり 

   みたいだけれど、

 

 劣っているとは思わない。 

 それを決めるのは社会であって、

 私からの 目はそうは見えない

 そういった部分もあるけれど、

 それを決めてくる 物差しにも十分な

 不具合があるように思えるから、

 本当はどうってことないのです、

 

 

  薬によって 不具合さを修正など

  手助け にはなれど、

  本質的なモノを理解しないから

  社会的におかしい のに 

 より中途半端なおかしくない者が

 出来あがるみたいで

  私には合わない。

     

 

   脳の仕組み的に正確な手段であるけど

  人間の 生き物の命って 

  そんなものだけで 

  成り立ってはいないから

勿論、とてつもなく正しい効果はあるが。 

 ほかの成り立ちを無視して

 正しさを 取り入れたところで、    私 自身が 正常に。

望むように動くのかは  別なので。  

 

    ほかの 成り立ち  仕組みを

    徐々に 徐々に 理解し 

   拾い上げては はめ込んでいく。

 

    そんな地道な 作業は効果テキメン

  きっと よくわかるに

    繋がると信じます、

 

  

    だから  恐ろしく 

  抽象的なぼんやりとしたモノ

     ばかり 見えてきてしまうのは

     別におかしい事ではなくて

     すべてが 分かるように成るまで

     の 時間を 耐え抜く力を

     身に着けるための、

     分からなさであると 

 

     進む力であると 

     言い聞かせよう。