汚い よわね
親戚 やら同学年やらの 話
になると 親の表情が
気にしすぎなのであろうが、
無性に 心苦しくなる。
今更なのに そうでも 今さら。
全然頑張らずに 逃げたけれど。
避けまくったけれど、
でも避けながらも それなりに
頑張ったのですよ、
無意味な 頑張り。 自己満の
何の実績にもならない頑張りでしたが
無いにも等しい 、 バカげた3年。
でも言葉がスラスラ出て来んで。
あとから見直せば、
いろいろ非が沢山自身にはあったけれど、
何も口にできんで つらかったんよ。
どうにもならなくて
何でできないんだ
何でできないんだって
変だって
そう言われないようになっても。
いつまでも
無言の空気がそう言ってくるように、
自分の内から毎回聞かされて、
どうにもならない
偏桃体の異常は やっぱり
昔からあって 小学一年生の
出来ないと指摘され
指さされて笑われるっていう
、 それ
まあ そうやって
道徳に反する行為をしている
教師は罪ではあったけれど。
やっぱり、わたしにもそれなりに
指摘要素はあって
こだわりによるルール違反とか、
執着による行為の偏りとか。
それやっぱり、
軽度な発達要素であって。
それに関しては、
だれに非があるないでなくて、
知るべき特性であって。
これからそれを高確率で、
非とみてくるような社会に
出なくてはいけないのだから。
知るべきで 非ではなくて、
その時認識せずに来たので。
今知って対処しているわけで、
私は 劣ってなんかいない
私は劣った存在ではない
とか 疲れとともに、
流れ出る自己肯定のようなもの。