私の わかるの基準。

 

 もうすでに 分かっていた事なので

 新たな 発見でもないのですが、

 

  行動に至るまでの その道のりは

  思えば 明確な 解答が

  いつもあるわけでなく

  その必要性私はいつもいらず 

 

  必要なのは 不明瞭な感覚のみ

  でも それがわかると 

  いつもこの上ない幸せ 感じ、

  セロトニン発生  心地よく

 納得して 確実性を自分で作っていける。

   分かる  に繋がる。

 

  その 不明瞭な感覚、 

  あえて言うなら似たモノ探し

  分からない  を例えた類似感覚を 

  当てはめてはめていく事。

   それ 関連事項ひたすらに

   思い浮かべるしか能がなかった

   私は 、自分で自分の

   行動のしくみを

   ちゃんと持ち合わせていたので。

 

   それが 何を意味していたか 

   よく知らない

   知ろうとしなかっただけで。

 

   すでに方法は私とともに居たのです、

 

 

    このしくみが、 日常の 

   社会のすべてに通用するとは

    思わないが、

    何も 方法がないよりは 

    断然マシなのであります。


 

 

  

   あとは とりあえず、行動の癖

   習慣つくるのみ。

 

    そんな私は最近また

    目まぐるしく 夢を見て。

    物凄い 迫力の 

   時に 恐ろしく。 きれいな。

 

    現日常とは裏腹に

    忙しく 勢いのある時が

    頭の中で起こっております。

 

     その裏腹の私生活で 

  長い一人の時間を過ごしておりますと

      モノモノの周囲から

   かけ離れたところにいるように

      思えたり。  

   不順な脳内物質やホルモンたちが

    それ増長させてまいるからつらい。

 

 

    でも これ 忙しく充実してようと

     そう感じやすいのは私の性かあ。

 

     孤独の概念をどう捉えて 

    寄り添って生きていくのか。

     生きてる間の 

    永遠の課題であります。