同じこと再び、かもしれないけれど。

 

 

 最近感じる事 前回と同じようなそれ、

 再構築…とでもいいますか

 

  何度でも何度でも感じる事 

 言い聞かせたいのかもしれない 

 

 

 

 

1人で居る 孤独ってのが 

どんどん遠ざかっていくのよね、

そう自分が意識的にしているのだけどさ

まだ 将来のどうしようもない 不安や 

取り残される怖さが 

まったくなくなった訳ではなく。

 嫌なほど、強く感じますが

 

でも 1日と捉えている

この時間の中での

孤独の 感じ方がどんどん和らいで

 周囲と一体化していくような 

それ意識しているのですから当然

なのだけど。

 

和やかさの手に入れ方を身に付けてきたのかな。

 

だって 前に述べたように

ここには いないけれど、ここに至るまで

たくさんの人たちが関わり、その時その時 

違う表情で 思いで

私を成り立たせているという事

当たり前で 見えないけど

 あたりまえに存在するのですよね。

それは 消えてなくなりはしない 

私が思い続けるまで

ずっと傍にいる。

それ亡くなった人だけじゃないのよ

 

 

 人の多面的な存在を 受け入れると 

 こんな 霧がかかったように 

 孤独をぼやかして くれる

 のも良いかな  

 とか 強く思う最近でした、

 

 同時に 何にもなくても 

 なんにも出来なくても

 私という存在を

 受け入れてあげてもいいかな。

 とか 甘ったるい考えかもしれないけど

 じぶん 否定しないで居られる時間を

 認めてあげる の私には 必要かなとか、

 

 

まあもう少し 今まで逃げてきた分

出来る事増やして 

見えるもの手に入れていきたい

 人と触れ合いたい欲は 

 持ちながらで進みたいけれど

 なんせ、周囲の皆とは

 持ち合わせが ぜんぜん

 足りないように 見える毎日だから。

 ね  自分のゴールはどこにあるのやら、

 

 

 

 

 

悠 - 精神的にゆったりしている様子

    気の長い    

 

 なんて

 

 名前にあるから、全てが遠く離れていて

 スローな

 私の 成長度合いでありますが。

 着実に 自分の成すべきこと知って

 1日という時間を 朝とともに

 向き合う愉しさ体得したから、

 

これ 進歩であるといいな 

誕生日までの成果。

 

私の流れは ゆったりと周囲からは

無同様であろうけけど、

その無の中で 見えるもの

 理解できるもの

私にはあると信じながら

 皆のように

成長していけたらね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ロイ・アンダーソン監督の

ホモサピエンスの涙」

 

人間のこの今 その時のこんな

楽しみが あるよって

深く味わえる作品で

愛おしい。

 

 そしてそんな場面を客観視する

 目線

 私たちいう自分 見る事でどんな

 苦も 涙も 虚無も違ったものに

 変えることが出来る すてきです。