少しした 吐息の中に

 

 

 

  淡々と続いていく 日々に

  後れを取るまいと、

  忙しくある中で ゆっくり流れる

  穏やかさ を肌で感じて。

  最近は 生きております、

 

 

  でも 思考が一日の枠を飛び出したいと

  たまには センチメンタルな世界へ

  見るものが 切り替わる瞬間が 

  訪れやすくも ある 最近であります。。

 

  見る目のレンズが入れ変わる、

 

 

  

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 季節の きれいな雨が 降る。

 

 

 

 

 

 

世界ふれあい街歩き

 

イタリア/ナポリ  スペイン地区 が放送

 八百屋の印象的シーン

 

 

(外国からスペイン地区へ 移住した人が

 この店で 玉ねぎを手に取って 

 眺めていたの   すると

 

 地元のお客さんが その外国人を

 にらんでいた

 それじゃ この地区は良くならないわ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

同じこと再び、かもしれないけれど。

 

 

 最近感じる事 前回と同じようなそれ、

 再構築…とでもいいますか

 

  何度でも何度でも感じる事 

 言い聞かせたいのかもしれない 

 

 

 

 

1人で居る 孤独ってのが 

どんどん遠ざかっていくのよね、

そう自分が意識的にしているのだけどさ

まだ 将来のどうしようもない 不安や 

取り残される怖さが 

まったくなくなった訳ではなく。

 嫌なほど、強く感じますが

 

でも 1日と捉えている

この時間の中での

孤独の 感じ方がどんどん和らいで

 周囲と一体化していくような 

それ意識しているのですから当然

なのだけど。

 

和やかさの手に入れ方を身に付けてきたのかな。

 

だって 前に述べたように

ここには いないけれど、ここに至るまで

たくさんの人たちが関わり、その時その時 

違う表情で 思いで

私を成り立たせているという事

当たり前で 見えないけど

 あたりまえに存在するのですよね。

それは 消えてなくなりはしない 

私が思い続けるまで

ずっと傍にいる。

それ亡くなった人だけじゃないのよ

 

 

 人の多面的な存在を 受け入れると 

 こんな 霧がかかったように 

 孤独をぼやかして くれる

 のも良いかな  

 とか 強く思う最近でした、

 

 同時に 何にもなくても 

 なんにも出来なくても

 私という存在を

 受け入れてあげてもいいかな。

 とか 甘ったるい考えかもしれないけど

 じぶん 否定しないで居られる時間を

 認めてあげる の私には 必要かなとか、

 

 

まあもう少し 今まで逃げてきた分

出来る事増やして 

見えるもの手に入れていきたい

 人と触れ合いたい欲は 

 持ちながらで進みたいけれど

 なんせ、周囲の皆とは

 持ち合わせが ぜんぜん

 足りないように 見える毎日だから。

 ね  自分のゴールはどこにあるのやら、

 

 

 

 

 

悠 - 精神的にゆったりしている様子

    気の長い    

 

 なんて

 

 名前にあるから、全てが遠く離れていて

 スローな

 私の 成長度合いでありますが。

 着実に 自分の成すべきこと知って

 1日という時間を 朝とともに

 向き合う愉しさ体得したから、

 

これ 進歩であるといいな 

誕生日までの成果。

 

私の流れは ゆったりと周囲からは

無同様であろうけけど、

その無の中で 見えるもの

 理解できるもの

私にはあると信じながら

 皆のように

成長していけたらね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ロイ・アンダーソン監督の

ホモサピエンスの涙」

 

人間のこの今 その時のこんな

楽しみが あるよって

深く味わえる作品で

愛おしい。

 

 そしてそんな場面を客観視する

 目線

 私たちいう自分 見る事でどんな

 苦も 涙も 虚無も違ったものに

 変えることが出来る すてきです。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現状報告、次のステップに入ります。

 

しばらくぶり。

日常の変化、いや 

社会的な居場所を獲得するために

奔走して参りました。

 取り敢えず、ゲットであります

 働き始められます…

 

 

いいことか 悪いことか 愚かなことか

良くわからんのですが。 取り敢えず、

今の私が行える100パーに近い

 もの出し終えて。

得た結果であることだから、 満足であります。

 客観的に見て その選択が正しいかなど、

考えるだけ無駄で、

ふあんが増大していくのみで。

煽られては 影響されては、

不安しか作り出さぬ、から

良いのです、 多分…

 

自信はこれからつけていけば 

やるのみ。   

なかなか辛くて面接期間後は

正常な脳内の落ち着きが取り戻せなくて。

きっと 歯も 心臓も精神もすり減って

寿命が縮みました、 ヘタレですので。

 でも 中々勉強になりました し

リモート面接、実習のおかげで 

救われました、

これもまた運命。 エージェントにも感謝。

言葉を伝え合う、学びありがとうでございます、

 

 

 

さて 、そんなこんなで

 

私の家族は 毎度のこと

くそみたいな 空気の中、今日も騒音が響き

これまた心臓に響く 現状であります、

 

ですが 最近は父もランニングを始めたり

そうランニング?ジョギング?

私が父から身に付けたこの運動法を。

また始めた事はうれしく思います。ハイ

前よりは 猫に対して愛情を込めて

接しているようですし、

母の精神的負担は計り知れないですが。

 私には どうにもできんのです、

 

でも やはり一緒に食事を 同じテーブルで

同じものを食べたり、

 共同作業をするというのは。

少しばかりは潤滑油には 

なるのでしょうかね、ぐらい

 

いい時 悪い時 色んな面があるのが

この3次元という空間で生きる楽しさであると。

最近は思うのです、 思うようにしてマス。

 

人間にも当然、 色んな面が

一人の人間には 在り。

それを 否定しては この世界の成り立ちをも

拒否していることイコールだから、

幸せとは 当然

かけ離れてゆくのかなあ とか。

 

自立していく大切さ 重要さは必ず

体得していかねば ならないと、

私には足りないところであるけども。

 

変わりゆく時代の中

今までの家族というものが 変わっていくのも

必然であるけども。

 

私はそれなりに 所々依存や支え合いが

合っても良いと それ無くして人は生きていけんと

思うから 程よいキョリで

 

生まれも 最後も人は一人だけれども

生まれも 最後も誰かの助けなしに 

依存無しに

は成り立たないと 

本でそんな意見を見たのですが。

 

一人で生きているようで そこには 必ず

誰かの 力が存在していて なので

 独りまかせ の見て見ぬふりな 関係は

嫌だなと。

 

変わりゆく 家族の関係も

今の当たり前 のような淡白さに

ならなくては 自分の身だけ 

なのは虚しく思います。

生きる意味ありますか?そこに

 

 世界が この国が危うく お金が仕組みが

どうであろうと、何かを切り捨てて 

今よりも。

得るものに 意味があるのでしょうか。

 

勿論 もう今までにたくさんの 何かを

切り捨て 知らずに踏み台にしているのは

事実ですが。

 

お花畑な頭で生きては いけないとは

思うけど、 私は此処で生きているので

見て見ぬふりを これ以上増やしてまで

命を費やすのは いやだなあ、

 

温かく時に 苦いけれど 共有しながら

同じ場所 空気ごはん食べながら、過ごすのが

家族で ありたいかなあ、

 出来るだけ出来るだけ

 

 もっと出来る事増やさないと 何にも

望むことが出来ぬのが、この世なので、

つよく 走らんといけないですね、

 まず毎日の要らぬ

面を捨てていく事から始めようと。

 

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たまに 最近

 

デイジョヴィ・ジョーンズの

「死ぬのが怖いか?」 というセリフが

頭をよぎる

 

  とある記事で。

 死は他とは比べ物にならないほど

 快感をもたらす、とか 。 

痛みがないことはないであろうけど 

その過程で。

 

 軸に添って 前にある目的に向かって

 抗いながらであれば、 

感じる感覚もちがうのでしょうね 

 

生きる糧 は此処にある。

 

 1月も下旬に入りました、

 

 依然 とくに生活に変わりはなく。

 

 でも 着実に自分の中にある 

  軸の形成は行われ。

  足下がおぼつかない 

  心許ない気持ちが薄れに薄れ。

  周囲とのキョリの保ち方 

  攻撃から身を守る盾が  

  徐々に増えていってまいりました、

  実際に 客観的に見て、

  成長具合があるかどうかは。

   まだまだ不明であります。

 

 

  幸せは どこに

  幸せをどう感じていくのか

   とか 悩みながら 先々の

   不安を巡らせながら

   自立 の生活へと向き合っていますと

 

   一人である 孤独をも薄れ、

   いや慣れなのか。

   孤独という概念が 感覚が個人と

   一体化でもしたかのような。  

   そんな具合に これ良き

   漂い感が生まれ始めますね。

 

   今までが ただ単に

   稚拙な思考と

   外部に求めるものが多すぎて 

   バランスが取れなくなっていた 

   だけなのだろうけど、

 

   これを きっと

  成長とでもいうのでしょうけども

 

   はたから見て 成長具合があるのか 

   そこは、

   自信を持てないとこで  いつまでも。

 

 

    

   取り敢えず、

   この1年で培ってきた 軸なるものが。

 

  私が 選択していく環境下で 

  ものになってくれるよう

  使いこなせるよう。 努力してまいる事、

  もくひょう。

 

  軸として 意味を成してくれますよう。

   祈るばかり。

 

   それには具体的に そう具体的に、

  ルールや規則を 身に付けながら 学習して

  その中で 軸が機能するように 

  身をのせていかねばならんので。

 

  時たま 私は 

 何をやっているのであろうと。

  この 訳の分からないルール内で 

 流されていつまでも

 流されて 生きるのであろうか 、とか

 浮かび上がるけど、

 

 

 これは とんだ思い違いであり、

 いや でも正しくもあり。 間違いでなく

 でも それ押し込めながらも 

 流されて初めて得る

 分かるものが あるのであろうと 

 

  そこで初めて 

軸の意味が成してくるからと。

 

 日々 耐え忍び学ぶ、

 

 

 

 

 

 

 きっと意味がある。

 

 

  昔の写真から。

 

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  私の目

明けまして 日常に戻ろうと思います。

 

 新年が 明けました。

 

 今年は 何とも、サッパリとした

 年末年始でありまして。

 

 紅白の司会女優さんのテキパキとした

  リモートでの

  空間代わる代わる な切り替えの良さ。

  についていく人間の 緩やかな漂い、

 

  なかなか新鮮な  あ 

 一つ大人に成れたとでもいうのか、

  ぐだぐだなのに その中には 

 次の自分を おもてなしするような

 

  将又 年々と 他人になっていく

  家族へのわきまえのような

  お辞儀を心に秘めている姿勢とか 

  そんなん、

     あとは 亡くなった身内への 

    神々へのおもてなし 挨拶なのか。

 

     いつもになく ひしひしと

     別れまでの

     いくつかの儀式 礼

     のように感じる 

     年始でありました、

     悲しいわけでなく

 

  あっさりとした

 新鮮さ含んだおもてなし 、

 

 

 

 

    まあ  年末は毎度毎度 ここ数年

    家族のトラブル。

   姉が空気乱してのご帰還

   父の鬱悪化 が恒例行事でしたので。

 

   まあ  なんおか 何もなくとりあえず、

   平穏ギリギリ保った

   ということで、 良しなのです ハイ、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  そんな 私ですが

 

 去年は得られた能力に気づくことがあり。

  爪を立てずに 髪を洗うという 何とも

  快感な入浴。 頭の痛くない事、

  平穏だこと。

 

   これ、 前職での細かい作業で 指先

   少しは器用になったのだと、 

   働いたこと 無駄ではなかったと

   それなりに嬉しく実感、

 

   そして何より また

   ものを制作していく喜びを 再び

   取り戻せたこと、 これも

   自分なりに 喜ばしい事、この上なく。

  

   私なり の規模でありますが

   私なりの 喜びでしか じぶんを

   幸せにする方法はないのです、 この

   世では

 

    それが 他に繋がるときも

    あるといいとも 願いますが、

 

 

 

   お風呂の 話とは関係ないけどね これ