詰め込まれた日常にひびくモノ

  

  また  久々通所時に聴く。

 The  Birthday の曲、 

 朝pianoがおススメ、

 

    常には苦手だけど

   たまには いい なつかしさを

  思い出させてくれる。

    きもちがいい 

  なつかしさは大切だ、

    自分の軸を 正したり 

    形成させたり。

  または自分に軸なるものが 

  在ったのだという ことを

   思いだ出せてくれる、 

 

 

  又は 自分の 切り離した。 

 手放した愚かさに浸ることにも

  なるかもしれない、

 

     それもたまには 

   いいんじゃないかな。

      必要で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  音声は  ひびく   

  でも現実には

  何も影響はない。

 何かが戻ってくる様子も、

 誰かが戻ってくる様子もない

 

   自分の中に もどってくるような

   もどってこないことを 

    知るような 

 軸が反応したり吸収したり。

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

  そんなことが時々 

  ありながら 

 通所の日々で分かってきた事、

 

 

 わたしがASDやら、精神発達遅滞やら。

 診断の曖昧さで 

 断言できることがないのは 常々で。

 二次的な 精神の

 脳のダメージがひどくあって

また それが二次でなく 

根本の原因だったりの可能性もあるけど。 

 

 

  兎に角 

 私は 鬱がひどかったという事。

 それも 

前々から分かっていたけど何となく

(学生時代からその傾向があった)

    

 

 自律神経の乱れとか

 吐き気 食欲不振 自傷 

 急な気分の低下 

 漠然とした強烈な不安感

 息苦しさ 呼吸不全 血圧の低下 

  体の痛み 等、

 

 

   でも病院での伝え方 や

  じぶんの意識の仕方が  偏って。

  下手で、

 

 ひとつに拘るの性質が故にか、

 苦しいことが 

 よく分からなくなっていた。

  原因や症状が

 点在しすぎていて 

  ひとつに絞りすぎて

 

ASD で

ADHDで 

自律神経系で生理不順で  

勿論そうだけど、

 

 ひどい鬱が 二次的なより なのか

 原因なのか。

 私が 立ち直れない 一つである事、

認めた。よく理解した、

 

 

 

 

 

 

 全般を 意識するのヘタすぎて

つい どんどんどんどん

  一点ばかりを気にしている 

  カナシミの連鎖。

 

  それが わたしを 

負の世界へと導いているよ 悲しみダ。

 

 

 

 

 

 

  

 

 でも  鬱を改善させるのに

精神薬に頼るのは 私はおすすめはしない。

 

 最初の 病状のひどい状態からの

きっかけにはなる。

 薬が改善させるのでなく、

 改善した スッキリした 

 自分のいい状態の感覚確認 の為に

   私は必要だったけど。

 

薬は  精神を私をよくさせはしない 

   そうこれも  気づきのための薬。

 

 

 

 

 悪くなる外的な精神的要因は多いし、

比重は大きいけど。

  それによって脳にダメージが

   おきてるから

  薬で 自分のいい状態を知り

(でもだいたい薬が合わないからやめた)

  脳にいい習慣を 

 知り習慣づけを行って 

 自分の良くなっていく過程の感覚を

  感じ、それにつれ 

  改善に近づくしか。

 

  なので  脳に良い刺激を与える

 (前頭葉・側頭葉・後頭葉

   のを 探して 

 過ごし改善に向けております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  体調は

 なんとか 

今までにないくらい改善しているので。

 まだ 急激な気分の低下には 

 対応不可でありますが

徐々に その降下ごの持ち直しが

     早くなってきた様子。

 

   よきよきなので

 

 

 ASDADHD

能力偏りに どう対処 していけるか。

 向上できる箇所を伸ばしていきたい所。

 

 

 

 




 少し、 勝手な

妄想めいた 未来予測

役割サイクル縮図なのですが、

 

 

 

全員が全員でない ですし。

を前置きに

前提に





 

でも まあ発達であったり、

人生に困難が多い

 そのぶん、所謂健常者なるものたちに

  後れをなして

 気づきの遅れをっとっていった者たちは。




 

 言いたいことは 大器晩成であると、

 


 頂点に達して降下していく者たちと

 入れ替わり立ちかわり

  役割変更していくのであるのかと。

 

どちらも

 出来るものがやり

 できないもの 

 出来なくなった者を支える

仕組みのはずなんだけどねえ、理想論。

 

  

 

さっきも言っ通り、

 全員が全員でないので。

わたしも 努力 とやらをして

 役割が欲しいものです。

 



 たまに  努力とは何ぞや  

   となりらがら。

 

 

 

 

 そんなことを願ったり想ったり。