話しの残骸、コトバ残像

 

 昨日は 1じかんの 会話だった、

 

 話の後には 残骸が残る、 

ことばの残像。

 かき集めて 。 繋げあわせて巡らせ 

  てらしてすかす。

 


 ふり返りであります。

 

 

 

  できあがった頭の上の情景を 

   体全体で。

   浸み込ませて、中心を染める。

 実感を得るのだ 、

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 具体的には。

 担当保健師さんに 相談を1時間、

 べらべらと話 

 丁寧に応対をしてもらいに行きまして

 

  得るものあり、うれしくあり

   しみじみというところです。ただ

 

 

  

でも

 このひとは 私のレベルを測り

 わたしに沿うように話し方を。 


 とか要らないこと考えても仕方ない事を

 

  思ってしまうと 悲しくなります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人に 考えに 固執してしまうから。 

  悲しく 

 勝手になってしまうんでしょうね。

 執着はいけない、

 

 

  固執性質を やめるには

 

 

 たくさん であって 目移りして

 多くの 経験と 

 考えの認識を積んでいくのが

 予防策なのだな。きっと

 

 

 

  私が指摘されてつづけた嫌いな箇所。

  カナシミ

 

 

 

 

 

 

変化に 身をまかせながら 

 生きていくことが 

宙に浮く生き方なのでしょうか、

 

 

 

 

 

 少しばかり 違うとは思うけれど

 

 

 トイレ=服=人間

 

   な例えを 通常化させる訓練は、

    していかなければならない

    

   

    私の中で

 

 

  執着 を 消したら

  何が残るのだろう