零れ落ちた キーワードから

 

 確信を得た。

 

 9月半ばのあの

 物凄い切り替え力、行動力は

 どうして起こったのか、

 

 思えば確かに自分軸のことばを

 常に暗示させる の弱まってきたな

 とは感じたものの

 

 原因としてしっくり来なくて 

 うーmm であったが、

 

 そうでした、  古い脳みその 

 良くも悪くもの恒常性。

 

 快楽追求、生命維持の役割の強さに負けて

  顕在意識が上手く

 働いていなかったので。

 

  あー そうね 自分に常に問いかけ、

  理由付けを

  忘れない事必要不可欠なのです、

 

   それ 慣れて

 手放してはいけないのでした、つらし

 

 

 

 

 

 

 

 

   話は変わり、 

 サピエンス史読んでいて思うたこと。

 

   想像上の秩序について 

   それをどう一般にし

   当たり前のルールにし 

 信じるに値する思想、宗教にするかで

 

    色んな方法があるのだけれど

 

  物質的世界に落とし込まれて

  普及するというのは

  小さく小さく 伝わるものだけれど  

  確実に人の個人個人の

  生活の中で思想と、 選択肢となって

  表れ始める。 というのは

 

   関さんの、 SEXのあのテレビ報道に

   当てはまるのだなと思うたり。

 

   あと、とある方のyoutubeの配信で

   関さんの曖昧に伝える話し方は、

   宗教関連での多くの方に

   見てもらう配慮や伝えられない

   部分がある  と言っていたけれど、

 

  確かに 伝えるにあたって 不都合や 

  それぞれの理論上のタブーみたいなもの

  に触れるのを避ける

  というのは マナーとしても 

  あるのかなと思うたり、

 

 

   それ以外の 事実という不都合も

   あるのやもしれまい。

    と 宗教の歴史といものを

    詳しく知らないのが

     むずがゆくもあり。

 

 

    まずはでも、身の回り 

    生きる上で関わり合う

    コミニュティーの壁も 

  超えていけるようにならねば と

    も思う。 

 

あつめて 留めておきたいモノ

  

  一時的なものだったらしい。

 

  休むに 休めないほどに 

  行動の指令が

  とめどなく 続く

  焦燥感に追われながら

   生まれるエネルギーは。

 

   一時的なものだったらしい

  そうですよね、 

  怠惰に過ごしてきた私の身体が

  突如力を発するとしたら、 

  それは長時間維持はできないですよね。

  当たり前で。  

  長時間維持するには 訓練が 忍耐が。

 

  時間をかけて 体得していくのが 

  この世のルールですよね、

  そのために 時間という概念は 

  存在しているのですから

  ルールを無視した 

  生活を営んでいた私の  

  受けるべき苦痛なので

 

 

  この 散漫して留まることがない 

   思考と それに戸惑って

  動くことが出来ない 肉体と。

  対峙していかなければ  

  得られやしない。集中力のその先へ

 

 

 

 

 

 

 

   そのために 

  少々身軽にしておきたいと

  散漫している 頭で唯一出来ることで 

  その場をしのいでいるだけですが、

 掃除、

 整理、

 

  していると  

 どうしても捨てたくないモノと 対峙、

  留めておきたい

  留めておく 場所を決めて 

  いつでもそこにある安心感 

  今はもう 存在しないものが 

  そこにはあると 。

 

  ただ執着しているだけの 

  モノを 置いておく

 

   人も 環境も ここにあるものは 

  変化を厭わずに

   消えてなくなるから 

  これ またルールだから。

 

  それに従って動かなければ 

  それこそ一生苦痛から

  逃れることが出来ない し

  そのルールを肯定していかねば 、

  楽しさなど共有していけない

  と  うすうす 気づいてはいてけど。

  執着の強い 私は 

  なかなか変化を嫌って、

 

   そしてでも 

  まだすべては受け入れられなくて

   まだ残しておきたい 、

   何処か この場所の私空間に

  いつでも そこにいて欲しい

   形を 成して いて欲しいと

 

   場所を作って そこにいる。

 

 

   いつでも そこにある 

   と思えるから

 

   帰ってこれるから 忘れて     

    日々を過ごせる、

   亡くなった人も

  同じかもしれないけれど

   私の場合、 亡くなった人を

   偲んでいるのではなく。

   変わっていく事への 恐怖と 

    変化を受け入れを

   邪魔してしまう 強い執着が 

   ただただ そうさせてしまうのです。

 

   集中力、意識は散漫になりがちなのに

   思いの執着は 

  いつもとどまったまま、

   この場所も  

  いつかなくなれば  

  本当の意味で 散っていって

 

   長時間維持の達成はなされるやも 

   しれません。

手の老い

 

 少し前から

 思うたことであったけれど。

 

  手 から自身の老いを感じます。

 

  数年前に、自分の首に。

 

  今度は手に 身体の時間の経過を

  つよく感じ

   焦り と終わりも少しばかり

   感じて 生きてるんだな と思う。

 

 

 

 

   周囲の変化 環境の 

  変わり具合で 時の流れの

   さみしさ は分かるけれど。

 

   自分の変化も 

  最近はめまぐるしく 焦りながらも

    現れるけれど、 

 

   見た目の 変化   

  ああ 髪の生え際が 

   虫歯が 白髪ある。 体臭の変化 

   筋肉の減り具合

     変化はあれど 

  あまり老いを体感するほどの衝撃は

     私には、無く。  

  ちょっとした変わり具合が

     積み重なっている

 

     を 時たま 発見する程度

 

     でも手の 

  老いにはうすうす見て

  分かってはいたけれど、

      最近ものすごい 

      焦りを押してくる、

      私にも 終わりが  

   あるんだぞ~ という 事実が

   永遠に在りそうな 退屈恐怖 なぞ

    何処にもないのだぞー 

    と手が訴えてくる、

 

    私が 怠けていた いるから。  

    いけないよなあ と

 

 

     顔は 鏡でよく見るのに 

    変化も感じなくはないけれど

      見ているようで 

     見ていないのだろうか

     あまり うったえてこない、  

     シミも 肌の質も 

     目の位置も パッとしない

 

    写真で 写るのは 顔も だが

 

    顔は不細工になっていくだけで 

    もともとだから

     あまり分からないのも 

     あるし見ないように

   しているのかもしれないし、

     

     手の時間の経過は 

   ものすごいインパクトである。

     その 醜さを でも顔ほど 

     憎らしくは思わない、



      大切に 

その手で出来る事を 増やしたく思うだけ

そのままで いいし、 このままでいたくない。

 

 近頃は、生活循環のスピードが 

  今までにないほど

  進むようになり、やっと 

 私生活が上手く運ぶようになってます。

 

  切り替え力が あくまで

今までの私からしたらではありますが。

ものすごく ものすごく 早くて

 疲れ所を知らないようで、

たまに ひどく止めくなる。

 でもやめられないという 呪縛が

 もう私には根付いてしまったようで、

 

 

  今まで どんだけ 注意散漫で

  何もできていなかったのだろうと

  事実 何もできなくなって 

  何も感じなくなっていました、

 

 

 

 

  その たまに の やめたい気持ちに

   触れてくるように

 

  コップの ふちの 汚れを見つけて

 ああ もういいじゃん 完璧など 

 私には程遠いのに

 なにを 全て行おうと、

 無理しているのでしょう … と

 

  汚れを そのままにして 

  使いたくなったり、、

 

  何を基準に 全て回して   

   時間で動いて

  ぐるぐる まわって  

  進歩のないまま 出来るを

  行うので、、   

  出来なくたっていいのに

 

 

  そのままにしたい  

 気持ちにゆっくりと時間を

  使いたくなります。

 

 

   私には  信念がないから 

  生きる信念が 

  まだ構築されていないから。 

  こうなるのかな

  

  止めてはいけないような 

  認めてはいけないような

  時間が まだたまに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     話は 変わり

 

     サピエンス全史の続きから

 

   なかなか 惨たらしい

  人間の歴史を垣間見る 

  のでありますが

    それは 単なる歴史でなく 

   過去でなく 現在行っていることで

    あるように 、 

  作者が訴えてもいるからではありますが

 

 

    動植物 に関しての

  歴史上の在り方 を述べていても

    今現在の 人間社会で 

    行われている事 のように

    書かれて  いるので。 

   そう感じて たじろぎます、

 

 

     歴史など必要のない 

    ちっぽけな生活者の

     私にでも 生活面での社会

     でない 視点で見ることは

     これから 私のちっぽけな

    考える に余地が生まれなくも

     ないかもしれない とも思い、 

     そのちっぽけな考えるが

      でも小さな生活面での

      選択肢ではあろうとも。

 

     選ぶ余地は 何かに繋がると、

 

 

 

 

      本書に 進化の通貨は常に 

       DNAの複製

 種の進化に 個の幸福に比例しないという

 

 

       動植物たちにも 

       強いてきたように

     今 私たちにも起こりうることで

 

 

      進化は 気づくことのない

      大きな枠組みでの成功 

      膨大な時間の中で徐々に

      進み 私たちの選択により

      繋がっていくと

 

 

      何に 幸せと 

   満足感を見出せばよいのやら

       途方もない 

     でもこの今を考える。

       

 

 

  

夢のはなし

 

 

 睡眠中下、

 

  虎が5~6匹 自宅と思わしき空間に 

  とてつもなくでかい 

 今にも食われそうで こわごわとしながら

 

   私は言う

  「 もう飼えないよ、

    手放した方がいい

    怖い、小さい時はよかったけど  

    もうこんなにでかく。

    飼えない」

 

     でも ずっと飼ってきたらしい 

     それらに

     手放しがたい かわいさと 

     罪悪に似た さみしさも

     持ち合わせながら、

 

    部屋満杯に 体をひしめき合う 

    大きな虎どもが

    怖く かわいく 手放したかった

 

 

 

 

     そんな夢が     

   自分の今の現状を表してなのか

 

     飼い猫の愛猫の今後を 

    不安にも思っている自分が 

     いるからか、勿論捨てたいなど 

     思っていないのだけれど。

 

    こんな自分一人 

   生きていけてない自分一人で

    このこ を最後まで見れるのか

    不安と でも愛おしさからの責任を

     強く感じてからか。

 

 

 

    自分の現状でも 

    強い今までにない

   集中力 切り替え力 

  周囲に動じない精神があるから

   その次に 

 進める何かを感じてなのかな、

   ふあん 強烈な恐怖感。

 

 

     とか 下らない 

   こじつけの夢解説を興じてみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

   インターネットで 

  調べものをしていると。

 

 私の 脳みそはどうも 

古い脳(生物本来の、情動・生命維持)と

新しい脳(右脳左脳、知能・創造・記憶)が

       

上手く連携できていないのだ  と

 

 

      そこで ホメオスタシス

          を目にする

 

 

     恒常性だ、 私の好きな、

 

 

     考え方によって 

 恒常性はとても 愛おしいものであるし

      大切であるのは変わりないが。

 

 

     私の脳において この恒常性は

     過度に 反応しすぎて 

  私から柔軟性を失わせているのであり、

     なんとも悲しくなった、

 

 

     恒常性の言葉がもつ 

  意味合い 表現のイメージは

      好きだったのだけれど、 

 私には少し遠ざけて 存在を意識する方が

      良いのかもしれません、

 

      柔軟に 

    変化していく力を手に入れるには。

 

 

 

 

 

 

     物事には 本質が必ずある、

 

    それを見つけるには 

   目に見えるモノ  モノを

    見定め それらが生じた

    原因・要因を探り 

   当てていくことでしか

     考えようのないもので。

     見えはしない  

    でも暗中模索を続けていると

 

    分かる それに出会えるのだ  

    簡単ではないけれど。

    自分の思考の中にある 

    モノであるならば、

    分かるに 繋がることができる。 

    時間はかかろうとも