あつめて 留めておきたいモノ

  

  一時的なものだったらしい。

 

  休むに 休めないほどに 

  行動の指令が

  とめどなく 続く

  焦燥感に追われながら

   生まれるエネルギーは。

 

   一時的なものだったらしい

  そうですよね、 

  怠惰に過ごしてきた私の身体が

  突如力を発するとしたら、 

  それは長時間維持はできないですよね。

  当たり前で。  

  長時間維持するには 訓練が 忍耐が。

 

  時間をかけて 体得していくのが 

  この世のルールですよね、

  そのために 時間という概念は 

  存在しているのですから

  ルールを無視した 

  生活を営んでいた私の  

  受けるべき苦痛なので

 

 

  この 散漫して留まることがない 

   思考と それに戸惑って

  動くことが出来ない 肉体と。

  対峙していかなければ  

  得られやしない。集中力のその先へ

 

 

 

 

 

 

 

   そのために 

  少々身軽にしておきたいと

  散漫している 頭で唯一出来ることで 

  その場をしのいでいるだけですが、

 掃除、

 整理、

 

  していると  

 どうしても捨てたくないモノと 対峙、

  留めておきたい

  留めておく 場所を決めて 

  いつでもそこにある安心感 

  今はもう 存在しないものが 

  そこにはあると 。

 

  ただ執着しているだけの 

  モノを 置いておく

 

   人も 環境も ここにあるものは 

  変化を厭わずに

   消えてなくなるから 

  これ またルールだから。

 

  それに従って動かなければ 

  それこそ一生苦痛から

  逃れることが出来ない し

  そのルールを肯定していかねば 、

  楽しさなど共有していけない

  と  うすうす 気づいてはいてけど。

  執着の強い 私は 

  なかなか変化を嫌って、

 

   そしてでも 

  まだすべては受け入れられなくて

   まだ残しておきたい 、

   何処か この場所の私空間に

  いつでも そこにいて欲しい

   形を 成して いて欲しいと

 

   場所を作って そこにいる。

 

 

   いつでも そこにある 

   と思えるから

 

   帰ってこれるから 忘れて     

    日々を過ごせる、

   亡くなった人も

  同じかもしれないけれど

   私の場合、 亡くなった人を

   偲んでいるのではなく。

   変わっていく事への 恐怖と 

    変化を受け入れを

   邪魔してしまう 強い執着が 

   ただただ そうさせてしまうのです。

 

   集中力、意識は散漫になりがちなのに

   思いの執着は 

  いつもとどまったまま、

   この場所も  

  いつかなくなれば  

  本当の意味で 散っていって

 

   長時間維持の達成はなされるやも 

   しれません。