激情の中の弱音

 

 

 私に 世界はあるだろうか。

 

 

 

  ひさしぶりに我慢がきかなかった。

 

  その我慢がいけないといわれるけども。

 指摘されるけども

   そうであろうか。

 

  意見を言えない 黙る私は 良くない

   よく 損だと表現されたり

 

   主張しあうことで 分かり合えるし。

   いや分かろうと

   知ることを始めるし、

  自分の意見を的確に述べることは 

  生きるすべである と。

 

 

   コミニュケーション

 

 

 主張すれば どんなことも

 どんな言葉の成りでも 許されるので?

 

  言葉の受け取りは

 社会では 身分が高ければどんな 

 ことばを使おうとも

 許されるのです。

 

 だって 返さないのが

 成り上がらないのが 

 いけないのですから。

 

 ほんとに そんな風ですか

 

 私の思い込み 

受取の仕方の不具合のせいにされて

  処理されていくのですか。

 

 

 

 

 伝え方は 

 

 社会で まかり通れば 

そこで生きている人だけが 

  認めるなら なんだっていいのですか

 

 

 

  きもちわるい

 

 

 

 

 

 

 

 子供のころから

 執着がつよくて 笑われた おかしいと

 なぜか うまくいかない 

 こわいこと ひとが沢山いて

 感情はダイレクトに伝わった必要以上に

 

 問われても わからない というか

 言葉にできないことが多く

 よく せめられた

 

 

 こんなことからは

 おさらば していくつもりでいるが、

 

 

 

 

 こんな くそ記憶から。

 

 

 

 

 

 でも なぜか

 浮かび上がってくる

 

 私なんて どこにもいないのに 

 ただ在るだけなのに。

  私の主軸は そこにないのに

 

 甘えがあるから だろうか。

 

 

 甘えているのはわかっている

 

でも

 そうじゃなくても

 

 

 上手くいかないんだ

 そんな 風にしか表せないけど

 

 上手くいき始めているよ

 でも 周りみたいには

 スムーズではないんだ今は

 上手くいかないのが嫌なんじゃない 

悪には感じていない今は。

 

 でも 悪だと つよく主張してきて

  つねに 指摘を 

 ことばの波長を荒くして伝えてくるのが。

  つらいんだ。しんどいんだ 

  消えてしまいたくなるんだ

 

  消える事なんてできないけど

  波長など 目には見えないけど

  感じるかも定かではないけど

 

 思うんだ。

 

   とてつもない くるしみを 

 

 

 思い込みが成した わたしの業だろうか?

 

 社会では ふつうだから。

 思い込みで 終わらせますか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  私は とてつもなく 間違っている

   それは それこそ間違いなく。

   

  だけれど

 

 自分の言動をふり返らないのは傲慢だ。

 

 生きることは 

その傲慢さで成り立っているのですか

 それが生きる事ですか

 

  そんな傲慢さだけで

 成り立っている世界など

   当たり前なのはしっているけど。

 

  きもちわるい

 

 

  そんなドブ水に適応などしなくていい

   窒息してしまえ、

 

 

  ろ過が必要です。