黒猫のひたい (著)井坂洋子 

 

 水色に

 少し不思議な 静物画のような

 抽象画の挿絵、表紙

 

 これまた 数年前に手にして 

 読みかけのまま放置していた本。

 エッセイには興味はあったものの 

  今ほど詩 や短歌に

 趣を感じては なかった というか、

  なじみがなかった ので。

  間違えて 買ったような 

 そんな印象のままに放置していた。

 

 

   東直子さんの短歌を読んでから

  こんなにも 今に集中できる 

   そしてエッセイとおなじく

  引き込む 力のある言葉に 

 連れていかれる場所があるかのような、

  手放せない 本か  と

 

   知ってからか

 

  印象は 記憶そのままにうーm 

  だったのだけれど。

   読み始めた今じゃ 恋しくて

  私の得意な強い執着が 

  発揮し始める。 すき

 

 

 

  今に浸れる 集中力を養ってくれる 

  そこにもだけれど、

  忙しく 脳が落ち着きない 

 また最近は 健康そのものに近づき、

  循環せねば 知ろうと 

  動き回らねば が脳との動きと反して

   うるさい。  

  その煩さから救ってくれるような 

  私の宗教かもしれない

   平穏ください、  に静かに

 答えて モノを傍に置いて行ってくれる。

 

    優しいのです、

 

 

 

 

 

 

 

  表紙・挿絵の 高橋千尋 さんの絵が

  凡庸な でも 凡庸さに 

 分からない怖さ  を感じる絵でして

  購入した当初は ?だったけれど、

  読む その文章に寄り添うように 

  人間の揺れる恒常性のこわさ

   でもどこか生き物の本質を 

 思い出させてくれる安堵感 にマッチ。

 

   素敵で この絵が無性にすき。

 

 

 

 文章の全部でないけれど  

 所々に出てくる  言葉たちが 

 時々思う 見えるモノせかい  を

 確かに 存在したよね と

  ノーマルな日常には 

そんな隙間のような時が 確かにある事

 

  いとおしくて  私のすべて

  それだけでは 

 生きてはいけないけれど。

 全てであること許される。

  本

 

 

 

 

   本書での

 「あてにならない 繊細で 

 信が置けない。すぐに変化するからだ

 でもその心によって人は生きている」 

   

  は 人との別れから

    立ち直れずにいる私に ひびく、

 

   心が変わるのは 

 生きているという証拠と思えば

    許していけるような気がする、

 

 

  そして 

 「非力な生き物の 呼吸の 息づく無」

  を感じて

  彼らに守られていることを  知った。