行って帰って 落着。

 

 

 暇なんてないはずなのに、

 私の からだ  

 決められ事から急速に離れたい 欲が。

 

 解放されまくりたさ が見えを張る と

 

 たちまち 暇になり堕す、

 

 

 

 

 

 

   飼い猫が ちょうどよく 

   かわよいポーズを

   背景フレームと一緒に

 重なりだして、 ああ カメラで記憶。

  記憶を画面に抽出、はやりの データに

  変えてください、

 

 

   そしたら 脳の欲の散漫さ発揮

 

  過去のデータが気になりだす、

  あ こんな顔で笑うんだと

  最近の私の汚い笑顔に 

  亡くなりし。祖父の面影発見に。

  嫌になりながら、

 でも 何度か見返すたびに、

  腑に落ちるような感覚

   あんまり仲良くなかったですけん、

   いいとこあんま なかった

   おじいちゃんに

   似てるて。 前から戌年同士で 

   へんな親近感 

   これ同類嫌悪っていうんでしたか

   

    やっぱ と認める

    しかないという諦めか

    うーん、 でも失礼にも、

    今いないという

    それまた 写真という思い出に

    付随したモノだからか。

    やけに 落ち着くように 

    落ち着かせた、よう。

 

 

 

  ほか  バラバラとデータに

  在る写真見ているうちに

 

   これまた 他の 

  私のモノにまで作用し始めて。

    変に納得、 自分の過去の

    愚かさ滲み出る。嫌やのに

    どんどん きもちがへんに

   落ちていって それは気分の

    悪化でなく、

   気づかずに 舞い上がっていた

   モノたちが 落ちてきて 着地。

   脳の 欲の散漫も 

  きれいにもとに戻って来る。 

  これしいて言うなら

   マインドフルネスなるものの、

   短歌読んだ際の。

    今一瞬に引き寄せられる

    感じに似ている。

 

 

 

 

   私の愚かさを 通して見えて

   くるものは

    私の歪んだ 思想?思い込みで

    見えていたモノが

    また違った 見え方として

    映し出されます。

     これもまた 実物ではないから、

     はっきりではないけれど。

     見えたモノも また思い込みで

     できているけれど、

 

 

 

 

 

   

 世代によって 価値や

 

 資産 崇めるもの 文化 伝統 ルール

 伝え方 違い、 いまが正しい 

 過去が間違いとか

  

 そんな風に 唯我独尊

 わたしが 私の見える世界が 

 大切なものがと

 思いがちですが。 私は愚かなので、特に

 

  データの撮影者が私でないから  

  とはまた別に、

 

 過去に戻る作用を 実感体感できる

  出来事に  触れることが

 そんな 自分の 今を見つめ直す

  とでも言いますか、、

 実際の身体は 身動きはしなくとも 

 なんだか とっても振り幅のある

  ちょっとしたひと時 

  今に また全てが戻ってきます、

 

 

 

 

   注意の散漫さも 集中と

   つらさ苦しさも 楽しさと

   正しさと 間違いも 

   痛みからの心地よさも

    激しさ 穏やかさ

 

   も みな循環して回りに回って 

     ゆらゆら。

    みな 行ったり来たりする。

 

 

   恒常性が働くように

 

 

 

 

 

  老いる 失う変化の怖さも

 

  和らいで 

 気持ちの良いものにほんのすこしだけ。