自分の律し方、操り方

 

 星新一の本を読み終えて。

 前の職場の送別品のサピエンス史(上) 著ユヴァノ・ル・ハラリを読み始め

 

 

 

  この方を知ろうと

  動画の話を少し拝聴しまして。

 

 

 畜産での動物に対する

 倫理観・幸せについて

 は なかなかインパクトがありました。 

 私なりの得るモノも。

 

 

  動物の感情は 自然淘汰で、

 進化の過程にて得てきた産物

   

   餌 を得るときに、

  身の危険を冒しても 行動すべきか。

  身を引くべきか

 

 自分はどのくらいスピードを

 出して走れるか

 聴覚嗅覚視覚からの情報を 

 瞬時に感情に変換させ

 意思決定のツールとなる。

 

  この話を聞いてると、

  自分がいかに 

 いわゆるEQにあたるのかな、

 自己認識からの感情操作、意思決定が

  上手くいっていないがために  

  社会でうまくやれていないのだと

  思わされました

 

   人間も動物ですからね

   ヒト科のホモ属

 

 彼が言うに 

感情で人間特有の一つが  罪悪感

  私は罪悪と少し違うかもしれないが、 

  何事においても引け目や

  申し訳なさ、を感じやすく。

  自己否定につながるので

 

 少しは 野生動物の本能てきな部分を

 見習った方が良いのかもしれません。

  いや これほんと足りてない部分。

 うまく変われそう…  バランス的に

 

 

 

 

   動画の話は、

   家畜は人間同様 感情 意識があり、

   今の家畜環境システムは 

   多大な苦痛を与えている。

   物質的必要物だけでなく、

  社会的必要物を無視してはいけないと

    人間によって 餌生活環境 

    安全をコントロールされ 

    提供しているから 

    といっても、

  それ以外の感情、野性的な欲求は

  消えずにある。

 

   人間がそうなように、

   それを無視するのは彼らにとって

   苦痛であると。 

 

    家畜動物についての

   幸せについてだけれど。

     人間について言われている

     ように聞こえてきたり。  

   人間を例えに出しているからか、

   人間も同じ動物だからか

 

    実際、 家畜が 

 牛豚鳥だけでももうない気もするからか。

 

 

    なんにせよ、 

 人間以外の動物に対する扱いが

 人間に対する扱いイコールではない

 世に見えても。考えかたはイコール

  何だろうなと 私たちも同じですから。

  

 だから大切という事ではないけれど、

 彼らを考えることは

 人間を考える事にも繋がるのでしょう。

 

 

 

    ハラリが言う様に、人間世界。

 人間単一で考えてしまいがちですが。

 他動物と私たちは本来影響し合って

 相互作用あっての世界なのです。

 生き物という同じ枠組みで

 生きているという事

 






    あと彼の 歴史は無情である 

 というコトバには少し震えましたが。 

  恐さで

    

 私たちが他同じ動物たちに

 成してきている ことも 

 歴史の中で類を見ない

 一方的な無情さを押し付けている

 のですから。こわいなど 

 言える立場では

     ないのかもしれないです。

 

 

  

 

     それと  もう一つ

     自分なりの 意見を持つこと 

     自分なりの 事実をもつこと 

     は違う。というコトバ

 

    自分なりの 

  事実は作ってはいけないし、

  それを作らせてはいけないと

 

  個人だけでなく、 

 組織や集団においても。

  しっかりと 見張って意見を考え述べ、

  周りを良い意味で監視し合う事。

  日常に流されずに 律する 

  というのは。

  なかなか簡単ではないです。