特性の浮き彫り・不安

 

 特別、今になって思い始めたのではない。

 じぶんの特性と向き合い始めてから

  ずっと

  気づいていた事だけども。

 

 

 

 就労を強く意識して行動し始めて 

 最近、

  特性による じぶんの道の壁が

  おおく、おおきい

  壁となって 何処にも行けないように 

  閉じ込められてしまう。

 

  行動しようとする度に 壁が大きく

   多くなっていくように感じる。

  だから 逃げて 見ないように 

 行動すること 避けてきたのか、

   これ道理にかなってるね。

 

 

 

  ジェームズ・アレンやらは

  環境によって変わるものはなく、

  すべて内部で起こる 

 決定により物事は進むと いうけれど。

 

  外部の条件によって 

 動かされていく作用はあるように思う、

  共通するのは どちらも 

  内部を所持する 個人一人が

  変えていける 唯一の方法である 

  という事 

 

   度胸論になってしまうけれど、  

   ただの空っぽの度胸ではなく

   信念のある度胸だけが 

   生き残るのかな、

 

 

 

  

   誰から見たら のモノなのかにより

   見えたものは 変わるから。

    自分が 得ていく事 

  モノの違いに戸惑いはないけれど、

 

    遅れていくことに 惨めさを  

    というよりは、 

   自分自身、 遅れをなして 

   走っていく事に 疲れ。

   進んでいく速さに

  追いつくことにも しんどくて、

 

   ただ 疲れる だけ。

 

   でも これは傲慢なる怠惰と 

   呼ばれるものなのかもしれないな、

 

 

   疲れても 走り続けなければ

   現状を変えることも 

  追いつくことなんかもできやしない、

    皆と同じになるために はしる 

    皆が 走っているから 

    走るのではないけれど、

   自分が 進むべき道を知り。

   その道に走っているが他にも居て。

   それが出会いであるし、

   一緒に走るで 同じようになる。

 

 

   遅れ に見えるのは

   道が 自分の立ち位置が見えぬから。

   どんなに 早くとも 芯が 足下が 

   分からねば

    正しい判断には 近づけない、

 

    という事にして、 不安を消そう。

 

 

 

 

 

 

   じぶん一人で 

  生きていく事なんか毛頭

  出来る気がしないし。

   不安で堪らない

 

  ひどく疲れるのは 

その感情に寄り添っているだけなのかな、 

  大切な 守りたいものがあると 

  力が出る というし

   そこに 病や疲れとなって 

   埋められない感情に

   寄り添う 物なのでしょう、

 

 

 

 

 

  まだ 十一月は 始まったばかり。

 でももう十一月