それぞれのベクトル

 

 

 

 就労移行には今でも

 たまにお世話になっていて。

 

 自分の時間の管理 人と話す事に臆さない事に

 役立てている。

 最近は よく話をして下さった方たちの

 就職の嬉しいニュースが多々あり、 

 

 支援所の雰囲気も前より増して

 和やかな時あり、で

 ここには 何かと感謝すべき点がいくつかある、

 むろん、就職に関しては相変わらず 訳には立たないのは

 事実であるけれど。

 

 ここに通っている人

 会話をする上で とてもありがたい存在で

 人と接する 楽しさを私に身に付けさせてくれる

 大切な 存在で 

 一つ一つの会話が とても大事で貴重で。

 覚えておきたい 記憶であります、

 

 

 ただ私にとって 都合がよい という

 理由なだけで 

 

 これらは ほんと

 一部にもならない ほんの瞬間の出来事

 空間でのやり取りで。

 大きなくくりから 眺めれば 

 なんの効果もない 意味すらない

 存在でしかなく。

 

 接する人々も とある一面でしかなく

 他面々など、見る事もなく

 私たちは 関わり合った存在とも言えない

 知らない人 となりうるので。

 私たちは 何者でもない 誰かと誰かになって

 その時良いものを 

 感じようと言葉を交わしています。

 

 全てでない そのひと時に 

 人一人のある一面と出会う それに

 価値があると あなたは良い人 悪い人

 と言えることが出来るのでしょうか?

 

 

 

 不思議で 果てしなくて

 私はその一面を見つめていたい 

 気持ちになります

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして 母の 

 いままで知ろうとしなかった

 見えなかった一面を 最近知った。

 

 母の 嫌なもの 知りたくないものを

 見ないふりする 都合の良さ

 許容に見せかけた無関心さには

  大切に仕舞い込んで、彼女のベクトルを

  頑なに変えない理由が。 概念が存在してた

 

 大切に 大切な人からの言葉の概念

 皆それぞれ 信仰のようなかたちで

 守り続けている 心のベクトルがあると

 度々気づかされては 苦い味がじわじわ する。

 

 

 

 

 

 

 明確な ことば 行動

 それだけでは 人は日常は成り立っていなくて。

  見えない 何かが

  人柄 良さであったりもして

  それを知らずに、

  踏みつぶしている自分が居る事

 

  行動と言葉しか必要としない 成立させる

  人間生活では 気づけない事も多くある事

  

  教えてくれる、毎日を過ごしたい

  行動が言葉が限定されようと

  そこには 人がいて 存在を感じる

  思いがある

 

  私は そこにベクトルを向けたい、

 

  分からなくても 見ようとして同じものを

  見ていると 共感できるようになりたい。

 

  私もそうしてもらえたように

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