どこを 世界と認識するか

 

 

最近は 体調不良からの 不安に

のまれた、

 

でも 体調は兎も角

その不安って 現実には存在しない事が

多くて

 

存在しないのに 自分で作り出して

怯えているのですよね。

ほんと時間の無駄

 

 

 

私は 今までシングルフォーカスな

特性あってか

ほんの一部の一部 手元のほんの一部

を自分の世界のように 思って

生きてきて。

 

それは それは窮屈で

でもすごく それなりに魅力はあって

でも 今思うと 

知らない 事による生きる不便さが

とてつもなく多く 生み出す 要因

 

自分の喜びは そこにはない

と初めて気づかされたりな

ここ数年でしたけど。

 

 

 じゃあ広い もっと大きなくくり

 からの 視野を求めて それ

 何の役にたつのだろう。

 

私は 特性的にも一極集中型で

趣向としても 小さくそれ 拡大させて

喜び感じるので。

 

まあまず、能力的に広さは適していないのですが。

 

不安を感じてしまう

分からなさ どれに焦点をおいてよいのか

分からなくなる のであれば。

必要ないものなのかもしれませんね。

 

 知るという事も。

 

結局 今は私にできる事は

限られているわけで

 

周囲に無関心でいる事悪

世界がこんなにも 動いていて

バカで居る事が 悪によく感じてしまうけど

 

幸せ感じるのは 人それぞれよね、

 

 

世界が動いている こと認識する

必要性は あるなと

 

 

感覚の例えとして 「電車内での視点

周囲を見て 縦に電車内を見ると

じぶんが 移動できると思える事

後ろにも 前にも」

 

そんな 利点は

確かに 自分の捉え方を

新鮮にしてくれる。

 

 

一生き物 の狭さ好む思考所持している

私は どこに適応して喜び感じるのかな。

 

なければ 死ぬだけだけど

あったなら、 そこに溶け込むことが

私のすべき事なのかな

そこでも変わりなく 終わりはあるのですけど。

 

 

周囲の 社会での

いけない事 悪い事 劣っている事

 

それが本当に 悪で

不幸せか 奴隷なのか

 

大きなくくりで見れば すべて

当てはまる事も

 

でもそれだけ が自分に必要な

視点とは 思わないのに、

 

気になっては 不安に陥る

これの方が 真のバカですね