生きる糧 は此処にある。

 

 1月も下旬に入りました、

 

 依然 とくに生活に変わりはなく。

 

 でも 着実に自分の中にある 

  軸の形成は行われ。

  足下がおぼつかない 

  心許ない気持ちが薄れに薄れ。

  周囲とのキョリの保ち方 

  攻撃から身を守る盾が  

  徐々に増えていってまいりました、

  実際に 客観的に見て、

  成長具合があるかどうかは。

   まだまだ不明であります。

 

 

  幸せは どこに

  幸せをどう感じていくのか

   とか 悩みながら 先々の

   不安を巡らせながら

   自立 の生活へと向き合っていますと

 

   一人である 孤独をも薄れ、

   いや慣れなのか。

   孤独という概念が 感覚が個人と

   一体化でもしたかのような。  

   そんな具合に これ良き

   漂い感が生まれ始めますね。

 

   今までが ただ単に

   稚拙な思考と

   外部に求めるものが多すぎて 

   バランスが取れなくなっていた 

   だけなのだろうけど、

 

   これを きっと

  成長とでもいうのでしょうけども

 

   はたから見て 成長具合があるのか 

   そこは、

   自信を持てないとこで  いつまでも。

 

 

    

   取り敢えず、

   この1年で培ってきた 軸なるものが。

 

  私が 選択していく環境下で 

  ものになってくれるよう

  使いこなせるよう。 努力してまいる事、

  もくひょう。

 

  軸として 意味を成してくれますよう。

   祈るばかり。

 

   それには具体的に そう具体的に、

  ルールや規則を 身に付けながら 学習して

  その中で 軸が機能するように 

  身をのせていかねばならんので。

 

  時たま 私は 

 何をやっているのであろうと。

  この 訳の分からないルール内で 

 流されていつまでも

 流されて 生きるのであろうか 、とか

 浮かび上がるけど、

 

 

 これは とんだ思い違いであり、

 いや でも正しくもあり。 間違いでなく

 でも それ押し込めながらも 

 流されて初めて得る

 分かるものが あるのであろうと 

 

  そこで初めて 

軸の意味が成してくるからと。

 

 日々 耐え忍び学ぶ、

 

 

 

 

 

 

 きっと意味がある。

 

 

  昔の写真から。

 

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  私の目