食べる という事

 

 

  ひとりで 食事するって

 

  場所によっては 

  いつも一緒に居た時の たべるが

  ひとり食事は むなしい まずいと

 

 

  ここ数年は思ってきたけれど、

 

  思えば。もう慣れてきた結果、

  

  ふつうに馴染みだして。

  さみしい もまだ残っているけれど。

  ほかの不思議な感覚が 

       じぶんの中に現れ始めた。

 

   自分もだけれど 周囲も皆

  

   ひとりで食べるその姿は、

   食事という意味合いだけでなく

   何か ほかにも飲み込んでいる。

   そんな風に思うのです、

 

  まあそれ 孤独からくる感情だったり

   何かにひしひし耐える。 

   我慢する。 生きる、 みたいなもので

 

  でも そこにあるであろう

  虚しさ とか さびしさ はどことなく

  感じられない のがちょっと意外、 

  不思議で。

  

  飲み込んでいるのは。

  色んな欲・理性で諦めた思考

  望みにならない・期待

  恒常性によってもたらされる、漂い感

  それに抗う、忍耐。

 

  そんなものが目立って 皆飲み込み

  たべるの中に入っている、のです。

 

 

  それってなんか 素朴な

  下手したら たださみしい姿に

  表面的には捉えられるけれども。

  ああ違うんだな

 

  ものすごく 生きるが詰まっている

  瞬間というか、

  耐えながら 前に進むために

  飲み込んでいる。

 

  言いかけたことばを 飲み込む動作と

  同じように。

  手を伸ばしたい それを

  我慢する

 

  目的のために 諦めるその様は

  なんかいい、

  

  粋というか。

 

  そう精神的に美化されて、見える。

 

 

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 だから 沢山食べる機会欲してる、

 でも なかなか 疲れて動けない日々。