くどくど なはなし

 

 

  えいえん とループする

  痛みとくるしみ は。

 

  自分が対処行動をとらずに

  ひたすら苦痛を選ぶことを

  選択しているから。

 

でも 血流が落ちて

それは筋力が衰えるから

頭が働かなくなる と

 元々繰り返しを好む、

 変化を嫌う性質は

さらに粘着質をまして

わたしそのものになる、

 

汚い ゴミダメに蹲る。

 風呂に入りたくなくなるしねw

 

 

 

 

 変化へんかをと 求め続けているけど。

 私はほんとうに それ求めているのか

 望んでいるのだろうか、

  よく分からない

 

 私の脳みそは それ嫌う

 回避する脳みそに設定されているし。

 無理やりにでも 変えようとするには

 苦痛が伴う、 それほんとうに

 私が求めている事?

 

  今の仕事みたいに、適正

  へんかのない 繰り返しの

  お決まりの動作 ルールで

  じぶんの適性IQで事足りる

  ちょっとした違いが感じられる

  爽やかな変化 で楽しめるなら。

 

 わたしはけっして 苦痛を求めているわけで

 ない 楽しみが欲しいので。

 

 要らない求めていない望みなのでしょうか、

 

 それでも

 繰り返しには 停滞が発生して

 先がないこと それは成長しない

 進化を選ばない という事 

  それ回避するために 必要とされる、

  それ選ぶの 望みではないのでしょうか。

 

 よく分からない

 

 変化しないこと 快楽なのに

 必要性に応えるの、わたしの

脳みその設定にはない、機能に

どう応えればいいのか よくわからない。

 

 

でも 前に本で

わからない と向き合うのそれ スタート地点

であると 説明されていた

 

では この分からなさは 苦痛は

 正しい理解への道筋なのかも

 これに対する、苦痛と恐怖が大きすぎて 

 致命傷になるの が悩みなのですが。

 

 

 

対処 それ探す

選択が望みに一番の近道でしょうか

 

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 今日は、はちゃめちゃな喋りで

 落ち込むことで。 具合の悪さに気づいて。

 薬、

 

 人の 優しさと私の目が捉えた

 ことばに 自分勝手に救われて癒される。

 ことばに飢えていること 実感する、