楽しさの中味

 

 最近 ようやく、

 

 なぜ姉が あんなにも努力できるのか

 努力家なのか、

 

 分かるようになった

 

 

分かるようになったから と

私も同じように努力の才能が

身につくわけではなく、

なれるわけでもない のだが。

 

 

 体感して理解したのでしょう。

 

 

 

 

 

何かしていないと 不安で堪らなく

何かしないと 間に合わないような

出来るだけ多く 進もうと意気込まないと

生きていられないような、

 

焦りのような 追い込み

ねむりなど あってはいけない

そんなサイクル の日々を体感している。

 

 

 出来るだけたくさんとはいえ、

 私にできる事は 数少ないのですが

 

そう 不安なのですよ

人一倍 一般の波に乗るのが

下手だから 後れを取り易いから

その不安といつも対峙しているから

不安感じる事がなくなるくらい

前進しなければならないのですね。

 

 

 まあ、 健康でなければ

 そんなことできやしないのですけどね

 

 

 

 

 

 

 

もし 変われるのであれば

 

脳みそ を改良して

物事にの 世の中に対する

理解力を高めたい。

 

  と常々思わされる毎日ですが、

 

そう 口にしてすぐ。後悔した

さみしくなった、

 

 

理解力が高く 賢くなってしまったら。

きっと 今のようなことばに対する

深みや 細かな日常の瞬間を

きっと なにも思わなくなってしまうのだろうな

と思うたから

 

まあ これがどんな才能ですか、

と言われたら なんでもないものでは

あるのですが、

 

 生きやすく世の中賢く理解のできる

 能力があるから 嬉しい事が沢山、

 

 たのしいこと 感じること一杯

 なわけではないわけで、

 

 生きるのに便利になったところで

 違うかもなと

 当たり前なこと おもうたり。

 

 

 今より辛くなく 悲しいことがなくなりは

 するのかもしれないけれど。

 

 そうなったからって 何になるのだろうね。

 楽さに縋ろうとするじぶんに反省、

 

 

 いまだって 社会的に意味を成す立場でない

 不必要かもしれない でも

 そんなとこでしか 感じることが出来ない

 小さなよろこびは 毎日あるのだし。

 

 それ有難み 忘れるのは 何とも恩知らず