うましかて!

 

 

 納豆がおししいと

 

 気づいたのは何時からだったかな。

  むかしは 生臭くて、糸引くのが

  気持ち悪かった。

 

 

 

 

  毎日は ものすごいスピードで

  かけていく けど

 

  脳内は ゆっくりと

 いつになく ゆっくりと流れ始める。

 それ 衰えというのかもしれない、

 

  だって出来ることは 少なく

 限られて。

 前進しようと意識しない限り。

 どんどん狭まって なにも

 ない  からゆっくりと

  ゆったりと 

 

 その代わり、

 進もうと 思う意思がよく聞こえる

 ような 時々無駄なことをしていると

 ハッと 気づかされる。

 

 余計なものが 削ぎ落されて

 洗練されているようにも 感じる。

  ただし 自ら歩みをとめない で

 いる いられる限りであるけれど。

 望まない限り。 止まって動かないけれど

 時間がすすむだけでね。

 

  それ 一日が早くなっていき

  同時に ゆったりとした 空間を

  たまに 垣間見たり、も

 

 電車と電車が過ぎ去るとき みたいに

 私はひとりなのに だれと

 なにとすれ違うわけでもないのに

  脳内 周囲のすすみが遅くなる。

 

 これ 心地いいような 気持ち悪いような

 おんなじ毎日 というのは

 今も変わりない でも

 毎日のひと時の スピードが遅くなるから。

  ああ今変える時 今ちがう毎日 と

  分かるようになった 、

 

 

 ただ老いて 多くの情報と向き合わなくなった

  結果でしょうね。

 

 でも そこに 幸せを感じる

 

 もっと先に自分が居る気がする。

 

 

 

 

 ふと思ったのでけど、

 人は 生き物は変わろうと 思う限りは

  つづくんだと思う 形なくなれど。

  

  でも  今この時で 変わる事を

  やめざる負えない

  やめたい ここにいたい とか

  ここに永遠を見出した時 とか

   人は 終わりを見つけるね

   変われなくなった時 変わるのをやめたとき

 

   私は後者で そして

   そのきっかけが人であったらいいな と

   

   まあ誰もが 望むことです、